抗HIV薬療法の概要 OVERVIEW OF ANTIRETROVIRAL
THERAPY
抗レトロウイルス療法(ART)の開始時期
ARTの早期開始を裏付けるコホート研究
ARTの目標と同様、HIV感染者への治療開始時期の決定についても時間とともに考え方が進歩してきた。コホート解析により、以下のような情報が得られている。
When to start試験
2009年に実施されたHIV感染者21,247例を含む18件のコホート研究の解析では、CD4+細胞数が351~450 細胞/mm3の時点でHAARTを開始した患者と比較して、CD4+細胞数が350 細胞/mm3未満に減少するまで治療開始を延期した患者では、AIDSへの進行率と死亡率が高いことが報告された。
- •この試験では、CD4+細胞数が最低閾値の350 細胞/mm3以下に減少する前にARTの開始が提唱されたが、CD4+細胞数の閾値を450 細胞/mm3に設定して治療開始の時期を比較した場合には、2群間におけるAIDSへの進行率および/または死亡率に有意差は認められなかった。
NA-ACCORD試験
一方、大規模な北米コホートの研究者らは、無症候性キャリアであるHIV感染者17,517例のデータを解析し、CD4+細胞数が500 細胞/mm3以下になって治療を開始した患者では、この閾値を超える時期に治療を開始した患者より死亡リスクが高いことを報告した。
- •さらに、研究者らは、CD4+細胞数が351~500 細胞/mm3の時期にARTを開始したHIV感染者では、CD4+細胞数がこの範囲を下回る時期に治療を開始した患者よりも死亡率が有意に低いことも報告した。
これらの試験はいずれも、早期のART開始が有効であることを示したが、当時、この結果は、世界のさまざまなグループによって解釈が異なっていた。
早期ARTの有効性:国際無作為化試験(START試験)
2015年8月にStrategic Timing of Antiretroviral Treatment(START)試験の結果が公表され、ARTに対する考え方が変化した。
この前向き無作為化比較試験では、無症候性キャリアであるHIV陽性成人を、CD4+細胞数が500 細胞/mm3超の時期にARTを開始する群と、CD4+細胞数が350 細胞/mm3以下に低下するまでARTを延期する群に無作為に割り付けた。
35ヵ国でHIV感染者計4,685例を平均3年間追跡調査し、重篤なAIDS関連イベントおよび重篤な非AIDS関連イベント(CD4+細胞数が350 細胞/mm3以下に低下時のAIDS以外の原因による死亡を含む)の複合的エンドポイントについて評価した。
中間解析時に即時開始群に有意な有益性が示され、試験を中止した。
延期群の全例にARTを実施した。重要なことは、即時開始群では有害事象の発現率の増加は認められなかったことである。
ART開始時期に関する世界的なコンセンサス
START試験の結果を受けて、英国HIV協会、欧州エイズ臨床学会、また、重要な点として、世界保健機構は、米国保健福祉省および国際エイズ学会-米国と同様にすべてのHIV感染者にARTを開始するよう推奨した。当試験データに基づき、すべてのHIV感染者/AIDS患者に対するART開始という一貫性のある国際的な推奨が出されることとなり、これまでの各国の医療提供者間のばらつきが解消した。
DHHS:米国保健福祉省、EACS:欧州エイズ臨床学会、IAS-USA:国際エイズ学会-米国
ARTの早期開始によるリスク軽減
新たなコホートや臨床試験のデータは、ベースラインのCD4+細胞数に関してARTの早期開始を支持しているが、ARTの早期開始のためのその他の論拠としては、以下のようなリスクがあげられる。
HIV感染による慢性的な免疫活性化が末端臓器障害を引き起こす:
- •PIベースレジメンの治療を受け、中央値で7.3年間追跡調査し1,281例からなるこのコホートでは、非AIDS指標疾患がARTによる毒性やAIDS指標疾患よりも高頻度に発生することが示された。
心血管疾患、非AIDS関連感染症および悪性腫瘍、ならびに肝疾患などの併存疾患の発生リスク や進行リスクの上昇:
- •9,858例(16歳以上)を対象とした多施設共同コホート研究において、研究者らは、非AIDS指標疾患(例えば、心血管疾患、非AIDS関連感染症および悪性腫瘍、肝疾患)の発生の増加は、免疫不全症の進行(CD4+細胞数 350 細胞/mm3未満の期間の延長と定義)との関連を示唆した。
- •この研究では、心血管疾患および死亡リスクの増加は、ARTとは関係なく、血漿中HIV-1ウイルス量の増加(>200 コピー/mL)のみとの関連が指摘されている(血漿中ウイルス量はHIV関連内皮炎症の代理マーカーであると考えられている)。
- •肝疾患関連死と血漿中HIVウイルス量の増加とも関連していたが、ARTを受けた患者では予防効果があったようだ。
ウイルス感染のリスク:
- •アフリカのHIV感染不一致のカップルの大規模コホートにおいては、ARTの早期開始により、HIVの性感染や結核、細菌感染症、死亡などの臨床的エンドポイントの減少も示された。
HIVの性感染抑制にはウイルス学的コントロールが重要
HIV感染予防の理論的アプローチは、ウイルスの複製の抑制によって性器の分泌物に含まれるウイルス量を減らすことである。
最近の研究では、HIV陽性パートナーがARTを受け、ウイルス量が抑制されることにより、HIV感染不一致のカップルにおけるHIVの性感染の大幅な減少が示されている。具体的には、HPTN-052試験では、HIVに感染した男性および女性がARTを早期に開始することで、HIVに感染していない通常の性的パートナーへのウイルス感染リスクの低下が示された。この試験の最終解析においても効果の持続が示されており、HIVに感染したパートナーがARTを受け、ウイルス量が抑制されている場合には、カップル内のHIV感染は全体で93%減少した。
PARTNER試験は、HIV陽性のパートナーが確実にARTを受け、ウイルス量が検出限界値未満の状態を維持していて、コンドームを使用せず、曝露前または曝露後感染予防を意図的に行わなかったHIV感染不一致のカップルにおけるHIVの感染リスクを調査する前向き国際的観察研究であった。PARTNER1では、コンドームを使用しない性交渉を報告したHIV感染不一致の異性愛カップルおよび同性愛カップルを追跡調査し、PARTNER2では、HIV感染不一致の同性愛カップルのみを追跡調査した。
PARTNER1試験では、1,238観察組年(couple years)の間にコンドームを使用しない性交渉を行っていたHIV感染不一致のカップル888組(異性愛カップル548組、同性愛カップル340組)において、カップル内感染は報告されなかった。
PARTNER2試験では、972組の同性愛カップルが組み入れられ、そのうち適格であった782組が1,593観察組年の追跡調査を受けた。この追跡調査期間中に15件の新たなHIV感染が発生したが、系統学的にカップル内感染と考えられるものはなく、結果としてHIV感染率は0であった。
HIV感染を迅速に検出して診断し、ARTを幅広く実施するための新たなアプローチは、このような結果から示唆される潜在的な公衆衛生上の利益の実現のために必要な次の重要なステップとなるだろう。
治療ガイドライン:ARTの開始について
米国のDHHSガイドラインとIAS-USAガイドラインは、HIV感染症関連の罹患率と死亡率の低下のためには、CD4+細胞数にかかわらず、すべてのHIV感染者にARTの提供を推奨している。
両ガイドラインは、HIV感染リスクを低下させるためにもARTを推奨している。
また、ある特定の集団は、ARTを可能な限り早期に開始しなければならない、優先される患者として指定されている。
優先される患者集団については、両ガイドラインにほとんど差がなく、指定されているのは例えば妊婦、HIV関連神経認知障害やAIDS関連悪性腫瘍等のAIDS指標疾患を有する患者、急性日和見感染症の患者等である。すべての日和見感染症ではないが、ある日和見感染症に関しては2週間以内にARTを開始することが非常に有用である。また、HIV関連腎症の組織学的診断を受けている患者では、ARTの開始により実際にアウトカムが改善する。
HAD:HIV関連認知症、HBV:B型肝炎ウイルス、HCV:C型肝炎ウイルス、HIVAN:HIV関連腎症、HPV:ヒトパピローマウイルス、OI:日和見感染症
EUと英国の治療ガイドライン:ARTの開始について
同様に、欧州エイズ臨床学会(EACS)および英国HIV協会 (BHIVA)のガイドラインでも、CD4+細胞数にかかわらず、すべてのHIV感染者に対してARTを推奨し、また、HIV感染リスク減少のためにもARTを推奨している。これらのガイドラインは、優先される患者として若干異なる集団を挙げているが、世界中のすべての主要なガイドラインにおいても、同じような集団が示される傾向がある。
両ガイドラインは、HIV感染リスク減少のためにもARTを推奨している。
また、ある特定の集団は、ARTを可能な限り早期に開始しなければならない、優先される患者として指定されている。
EACSのガイドラインにおいては、これは米国疾病管理予防センターの病期分類でカテゴリーBまたはCとして示されている症候性HIV疾患を有する患者(結核に罹患している患者を含む)、CD4+細胞数が< 350細胞/mm3の患者やHIV感染初期/急性期の患者である。英国のガイドラインでは、これはAIDS指標疾患である感染症の患者、重篤な細菌感染症に罹患しており、かつCD4+細胞数が<200 細胞/mm3の患者である。つまり、CD4+細胞数の閾値は「EACSのガイドラインで示されている閾値」と異なるが、HIV感染急性期の患者に関する推奨は一致している。
HAD:HIV関連認知症、HBV:B型肝炎ウイルス、HCV:C型肝炎ウイルス、HIVAN: HIV関連腎症、HPV:ヒトパピローマウイルス、OI:日和見感染症